ACTIVITY
ハンディキャップを持つ女性たちのサークル『オトナ女子の会』サマーパーティ開催
こころのバリアフリー&ビューティマガジン『Co-CoLife☆女子部』に参画する『オトナ女子の会』10名が、HANZOYAでサマーパーティを開催。全員にスラージュのランチをご提供しました。
福祉イベント『ヨッテク』(@パシフィコ横浜)で、食の道ツナギストが紹介
社会福祉法人横浜市リハビリテーション事業団主催による、ヨコハマ・ヒューマン&テクノランド(愛称:ヨッテク)にて、食の道ツナギスト・加藤が紹介されました。
食のフレキシビリティセミナー『ろう・難聴の方への接し方』開催
聴覚に障がいのある当事者と、手話通訳の方に来てもらい、音に頼らないコミュニケーション法を実習しました。難聴の方に話す際には、なるべく身振り手振りを大きくして、会話のシチュエーションが浮かぶように、口の動きだけでもわかるようにお話しする心がけや、便利ツールとしてスマートフォンやタブレットなどの「会話の見える化」アプリも教えて頂きました。
『2025年問題を食べる ~フランス料理と介護食の境界線~』 勉強会開催
50名ほどの医療関係者や介護従事の専門家に、嚥下フレンチの新作コースを実食して頂き、フランス料理の文化と技法が、栄養や安全面だけでなく、五感を元気にする可能性があることを紹介。
全国パーキンソン病友の会の総会に招かれ講演
全国パーキンソン病友の会・神奈川県支部の総会に招かれ、嚥下食開発のパートナーでもある飯田良平歯科医師と共に講演、加藤は、スラージュの調理におけるポイントや、提供する際の配慮、地域連携の大切さなどをお話ししました。
食のフレキシビリティ計画セミナー『LGBTってなに?』開催
レズ、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの方々から、実際に日常生活で窮屈に感じていること、誤解を受けていると感じることなどを率直に話してもらい、楽しく交流しました。人は男性か女性かの2タイプだけ、男性(女性)はこうであるはず、という思い込みでは測れず、まさに十人十色。共感や理解はできなくても、人それぞれが持つ「個性」を知り、受け入れることを学びました。
食のフレキシビリティ計画セミナー『ココロのバリアフリー』開催
「ココロのバリアフリー計画」理事長の池田君江さんを講師に招き、実際に車椅子に乗って、段差やスロープのある廊下やエレベーターの乗り降り、公道での通行などを体験学習しました。車椅子に乗ってみて初めてわかる恐怖、不便さを体感することができ、適切な手助けの方法を勉強しました。
食のフレキシビリティ計画セミナー『ユニバーサルマナー検定3級』開催
(株)ミライロによる、ユニバーサルマナー検定の3級のセミナーをHANZOYAの社員が受講。横浜地域では初めて、企業研修を一般の方にも開放する形での開催でした。
食のフレキシビリティ計画セミナー『食品添加物との付き合い方』開催
これまでも様々なセミナーを行ってきましたが、食の道ツナギストとして、アレルギーや障がいなどあらゆる人々にとってフレキシブルに対応する食環境をつくるために、「食のフレキシビリティ計画セミナー」という形で開催していくことにしました。
医療法人社団やまと主催の嚥下食勉強会にて 「フェリシテ」紹介
吉武歯科医院・吉武院長による嚥下食勉強会「第4回OMC勉強会」に、約50名ほどの在宅医療や介護従事者が参加。加藤とHANZOYAの嚥下食開発担当シェフ2名が呼ばれ、「フェリシテ」(嚥下しやすい柔らかいケーキ)を持参しました。
テレビ神奈川主催イベント『秋じゃないけど収穫祭』出展参加
加藤が構築するネットワーク「横浜レストランミーティング」に、テレビ神奈川が興味を持ち、イベントに出展することになりました。個々の店舗としてではなく、加藤と有志の協働によってキッチンカーでの「横浜ドック」が実現。
静岡県より「ふじのくに食の都仕事人」認定。第2回『静岡フェア』開催
静岡県と協働し2回目の『静岡フェア』は、加藤が静岡県産の食材を積極的に使っている料理人として評価され、1回目の実績もあり、静岡県からの依頼により実現しました。
静岡県より「ふじのくに食の都仕事人」として認定を受け、更に、フレンチレストランとしては初の、「ふるさと助成金」を適用するケースとなりました。
山形県鶴岡市&庄内市と協働し、『山形フェア』開催
東日本大震災のご縁で知り合った東北地方の生産者さんが『静岡フェア』のことを知り、山形でも、と依頼され、『山形フェア』も開催することになりました。行政と一企業が組むことは難しく、鶴岡市と庄内市のはからいでの実現となりました。
静岡県と協働し、『静岡フェア』開催
食産地と消費地をつなぎ、産地を支援する形の第1弾。神奈川県の隣でもある静岡県の食材を積極的に使い、店舗でご提供するお水は全て富士山の麓から汲んでくるほど、もともと静岡県の食材にはひときわ思い入れもありました。
加藤は自力で生産者を集め、「行政は一企業とは組めない」という高いハードルを乗り越え、静岡県の後援をもらうまでにこぎつけました。